あいしてるのブログ

この物語はフィクションです

不幸と芸術の相関関係、目隠しと焦燥を超えて

 

「幸せになればきっときみはつまらなくなるだろう」、一体どれだけの◯◯志望者がこの呪いに苦しめられてきたのだろう?

 

日曜日、「リメンバー・ミー」という映画を見た。「家族の絆」を描いたアニメーション映画であるが、エンドロールで不覚にも号泣してしまう。この物語には幾つかの重要なテーマが隠されているが、その内の主題のひとつに、思い切り胸を掴まれてつよく揺さぶられたからだ。それは、一般的な「幸福」と、一般的な「芸術」は両立できる(可能性がある)というテーマだった。

 

考えてみれば、それは当たり前の提言だ。閉塞の絶望を超えて、自分の望む道を掴み取った人間は幾らでもいるのだから、幸せになったからといっておもしろい表現物を創作することができないとは限らない。それでもわたしは一般的な「幸福」が、一般的な「芸術」の成長を阻害する要因になる可能性はあるのではないかと考えていた。

 

自分の身に降りかかってきた不幸に酔っているときに紡ぐ文章はうつくしい。そこには治りかけの傷口のような感情が露見している。深夜に書きなぐられたラブレターが胸につきささるのと同じ、生身のむき出しの懸命さが何にも代え難くわたしたちの胸に迫ってくる。そういった陰のうつくしさを他の何より優先したいのであればきっと、人生の中のネガティブな要素は武器になる。家庭環境が荒れるほど、生活が貧困であるほど、精神的抑圧が大きいほど、うつくしい文章を書くことができる。だけどその道を選ぶのであればきっと、わたしたちは近い将来、化け物に変貌するしかない。最も身近にいる人間を傷つけずにはいられないモンスターに。

 

気持ちの悪いポジティブ教に結局敗北したのかと、知らない人間の笑い声が聞こえるようだ。それは答えのないジレンマだった。わたしは平気で人を傷つけて笑うような人間になりたくなかった。だけど、うつくしいものをうつくしいと思う心も捨てたくなかった。もしも、その二つの要素を両立させることができるのなら。人を愛して愛されるみたいな、お互いを特別な人間だと認め合うみたいな、ふたりでいてもひとりきりでいられるみたいな、そんな健康的な関係性が、明日を生きていくための理由を、わたしに授けてくれるのなら。

 

この世界は、呪いで溢れている。成長する中で、呪いを避けることはむずかしい。たくさんの人間の唇が紡ぎ出す呪いはわたしたちに囁いてくる。あれはおかしいよ、これは危険だよ、それは変だよ。口々に囁かれる呪いは、やわらかでしなやかなわたしたちの心を、一つの鋳型に当てはめて蓋をしようとする。多数派に従えば、もう何も考えずにいられるように、疑問を持たずに生きていけるように。

 

「幸せになればきっときみはつまらなくなるだろう」、その言葉はわたしにかけられた呪いだった。不幸になりたかった、かんなで削られたかった、ぼろ雑巾になって踏みつけられたかった。だけど、一生分のちからをキーボードに込めて、わたしはここに宣言する。わたしは幸せになりたい、わたしは幸せになりたい、わたしは幸せになりたい!ぬるく続くこの地獄を終わらせて、大好きなきみとふたりで見たことのない景色を見に行きたい。呪いを解くのはきみではなくこのわたし。救世主はいなくても、わたしの世界はきっと革命できるのだから。

 

不幸と芸術の相関関係、目隠しと焦燥を超えて。

雛鳥と親鳥の鎮魂歌

 

わたしは一匹の雛鳥だった。親鳥から与えられるものを巣の中でただ口を開けて待っているだけの雛鳥。気づかなかっただけで、本当は気づいていたくせに気づかないふりをしていただけで、ずっとそんな風に生きてきたのかもしれない。この文章すらパフォーマンスに思えるような薄ら寒い反省文だ。

 

日を経るごとに、恋人のことを好きになってゆく。恋人の存在が、わたしよりも熱い体温や髪の毛の感触が、みるみる間に胸の中で大きく育ってゆくのがわかる。これまでだってひとりがさびしくて仕方がなかったのに、ふたりでいるときもひとりになったときのさびしさを想像してさびしくなってしまうのだから本当にどうしようもないし、この類のさびしさには限界がないのだなと思う。と同時にこわくなり、恐ろしくなる。さびしさのあまり、わたしはまた同じことを繰り返してしまうのではないかと思う。

 

人間関係において基本的にわたしは誰かに与えるということがうまくできなかった。それほど大げさでなくても、一緒にいると楽しくなったりする気持ちを抱かせてあげたいのに、自分の方がいつだって大事で、自分が楽しくなることを優先してばかりいた。恋人関係のような閉鎖的な関係になるとその傾向は顕著に現れた。振り返ると、被介護/介護関係のような歪なレンアイばかりしてきたから、与えるということがよく分からない。

 

恋人は与えられるよりも与えるという言葉をよく使う。自分の話をするよりも、話したがっているわたしを常に優先してくれたりする。自分を大きく見せようという気持ちから出た言葉ではなく、本当に心から思っているのだということが分かる。わたしはいつも恋人のような親鳥に助けられてきたし、道標のように頼りきってきた。今回も、そうなるのかもしれない。わたし自身が何も変わらないまま、何も変えられないまま、口を開けた雛鳥のまま、愛を与えられるのを待っているだけなら。このままこの問題をうやむやにするのなら、きっと。

 

不幸に酔うのは簡単だ、そうできるのはまだ余裕があるからだ、と恋人は良く言う。人間は分かり合えないものだよとも言うし、良い方向へ変わらなきゃいけないとも言う。頭ではその言葉が正しいと理解できる。その通りだと思い、納得するけれども、悲しいことや辛いことがあったときに、また同じ場所へ戻ってきてしまう。わたしに向かって大きく口を開けている闇は広大で魅力的に見える。真っ暗な狭い部屋に引きこもっていられたなら、ずっと自分の為だけに泣いていられる。何からも傷つかないし、傷つけられることもなく、ずっとひとりきりでいられるやさしい闇の世界はかつてのわたしだけの劇場だった。けれど、あの場所でスポットライトを浴びつづけたところで、観客が増えることはないのだ。カーテンは降りないし、拍手だって起きないし、誰の目にも映らない孤独な一人芝居。

 

破壊的ではなく、建設的に考えることを、自傷ではなく、成長することを、愚痴ではなく、よくする為の行動を、永続的な愛と理解を、ノンフィクションではなく、フィクションに求めるべきなのかもしれない。そういうところ迄、わたしは既に来ているのかもしれない。停滞も閉塞も抑圧もすべて言葉でぶっ壊して、きみの手を取って何処までもかけてゆきたい。誰も見たことのない景色を一緒に見てみたいし、知らなかった感情をいっしょにつくりだしてゆけたなら。わたしは今度こそ、壊れ落ちた鳥巣を見ても涙せずにいられるのだろうか。

 

その場限りのこうなりたいだけじゃダメなんだ。わたしが何かを叫んだところで、きっと世界は変わらない。本当に世界を変えたいのなら、それが先の見えない道だとしても、走って、転んで、それでも走って、走りつづけなければならないのだろう。書くことを、想像することを、決してあきらめたくないのなら。きみと、あなたと、つながりつづけることを、決して手放したくないのなら。誰かと心を通わせて、キーボードを叩き、口を開けたままの雛鳥と向かい合わなければならないのだろう。

 

いつか。きみが苦しまず、悲しまず、さびしがったりせず、嬉しそうに笑い、楽しそうにはしゃぎ、照れたように怒るような時間を、そんな時間が長くつづくことを、心の底から真剣に望むことのできるような愛を、いつかきみに捧げられますように。

 

 

男の人は未知の生命体、女の子になるということ

 

私たちは女の身体を持って生まれてくるけれども成長過程の中で経験を積みながら少しずつ女になってゆく。私のからだとこころの認識は幼いころから女だったけれど、そういう風に周囲に扱われることにはずっと違和感があった。父親はあまりきちんとした大人ではなかったし、母親はあまり自立している大人ではなかったので、大人未満のふたりの化学反応によって男の人に対する私の認識は日々ゆがんでいくことになる。男の人は女の子を傷つける生き物で、男の人は私を抑圧する生き物で、だからつまり、私が私らしく呼吸するためには女の子の存在が必要だった。女の子だけが、私をどこか遠い世界へ連れて行ってくれたから。私にはシスターフッドがすべてだった、私の手を取ってくれていちばん近くに寄り添ってくれて互いにしか理解できない言葉を交わし合ってくれる女の子が私の光だった。

 

それが現実逃避か生存戦略か自然現象かはよくわからないし定義する必要もあまりないと思うけれど、私は女の子と恋愛するのが好きだった。決して叶わないものだと思い込む片思いも、何処までも一緒に行こうねと誓い合う精神の触れ合いも、女の子との恋愛にまつわるすべての感情感覚がいとおしかった。切ないとか悲しいとか苦しいとか辛いとかうまくいかないとかどうにもならない痛みすら、涙に濡れたまつ毛がきらきらと星を浴びて光るように胸の中で瞬いていた。女の子は(お父さん=男の人)とは違う。私の言動を逐一審査してコメントをつけたり、思い通りにならないことがあっても癇癪を起こして皿を投げたりしない。女の子たちは皆、家政婦やアクセサリーとしてではなく、私を意思のある人間として扱ってくれたし、私の話にきちんと耳を傾けてくれた。女の子のそういう、嘘みたいなやわらかさが好きだった。

 

だけど、私は女の子と一緒にいるとき、少しだけ後ろめたかった。私が恋愛してきたのは男の人のことが好きな女の子が多かったから、私は好きな女の子の前で、女の子ではなく男の人として振舞うことを意識することがあった。私は雄鳥のふりをした雌鳥で、いつもちょっとだけ無理をしていて、自分らしさよりもさびしさを優先するようなあまり褒められたものではない生き方をしていた。本当の男の子なら良かったのにと言われるのが怖かったし、いつか終わりを切り出されるのに怯えるような日々に少しずつ消耗した。女の子と女の子が手をつないで世界の中心を歩いていくこと。その光景に憧れてきみと私とで明るい未来を実践できたらいいのにと思う一方、私はひどく臆病で、自分が傷つくくらいなら早めにきみを傷つけたかった。思いを寄せている女の子と別れたり、くっついたり、離れたりしながら、日々は過ぎていった。恋も愛も永遠なんかじゃないし、未熟で退屈なままでは自分以外の人間ひとりすらを大切にはできないという無力感に振り回されたりもした。

 

そうしているうちに大人になって、自分でお金を稼ぐようになって、(男の人=お父さん)の公式が崩れた。世界と視界が狭かった私が、男の人ときちんと向き合うことになったりした。二週間とか一ヶ月とか心の触れ合いをともなわない交際経験は何度かあるけれど、こんな風に男の人に恋をしてみようと思ったことが私にはほぼなく、毎日戸惑ってばかりいる。これまでの私は女の子にばかり恋をして、女の子にばかり憧れて、女の子のことばかり考えていたので、男の人との恋にうつつを抜かしてまともに文章を書けなくなったり物語に耽溺できなくなったりする今が不思議だし落ち着かないし自分が自分じゃなくなったみたいで、どうしたらいいかわからない。女の子として男の人に優しくされることに慣れていなくて、らしくなく思えて、上手に女の子になることができない。

 

相変わらず男の人はこわいし、何を考えているのかわからないし、わからないからすぐに決めつけたくなってしまうし、不安なことばかり次々胸に湧いてばかりいる。裏切られるとか嫌われるとか見下されるとか飽きられるとか疲れさせるとか、そんなの自分に自信がなさすぎるしネガティブの連鎖すぎるし何が本当で嘘なのかが判別できないみたいな暗闇の中でやっぱり飽きもせずぐるぐるときみのことを考えている。きみのことが好きなのは嬉しいことに残念ながら(?)たぶん本当、恋愛って苦しくてせつなくてじっとしていられないから走り出したくなるんだみたいな純情センチメンタルの回想を私にくれたきみを私よりもうれしくさせたいよ。寄り添ったり慰めあったり突き放しあったりして一緒にいることが自然になっていけばいいなとか思うし、手をつないで一緒に生きてゆくみたいになれたらと思うし、そのために私を精一杯がんばらせてほしいと思うよ。男の人はみんなきらいでした、きみ以外はみんなきらい。だからきみは私の特別な男の人、いちばん大切な記憶は私だけのひみつだよなんて言ってかわいいって思われたい、照れると文章がまどろっこしくなる私の癖。

 

恋は刹那と感傷でつくられている。水の流れにたゆたうように生きてゆきたい、一過性とか一時期の迷いじゃなくて私は男の人も女の子もたぶん好きなのかもしれない。できることならそのときの心の向きに従って人を愛したい。私、きっとうまくできるかはわからなくても、きみに手を伸ばしてみてもいいですか。男の人は未知の生命体、宇宙人に恋をするみたいな季節は変化の春。あのね、好きです。私、きみの女の子になりたいのかもしれません。

 

オールナイツからうまれる普遍的な日常的な刹那的なポエトリー

 

「誰も知らない」

まだ誰も知らないきみのこと、渋谷スクランブル交差点の横断歩道を渡っている人間はみな目的地を目指すことに夢中で、例えばきみが土砂降りの日に転んで泥まみれになったとしても、例えばきみが真夜中のベッドで一人きり眠れぬ夜を明かしたとしても、例えばきみが月曜日の通勤電車にはねられて生肉の塊になったとしても、名前すらないきみは何処にでもある有象無象の風景でしかない、この世にひとつきり輝きを失いつつある明日には跡形もなくはっきりと消えてしまいそうな、そんな星の名前をきっとまだ誰も知らない

 

「うつくしいひと」

きみの笑った顔が好きです、私の生き方をみにくいと笑うきみの健全な精神にずっと憧れていました、好きな人には好かれるよりも嫌われたい、はっきりとした響きを持つ感情ほど確かだと思える感覚は他にありません、傷つけるために言葉を放ちピンク色に滲む涙をうつくしいと思う、わたしたちの旅路はこれきり交わることはないのでしょう、卒業証書できみの処女膜を突き破りたかった、パラレルワールドでどうか誰より幸せになってください、私本当はぼんやりと寂しくうららかな春のざわめきが大嫌いでした

 

「深夜3時のももいろ吐息」

きみは考えたことがありますか、どれだけ同じ時間を共有してもきみとぼくが繋がれないということの寂しさを、きみは考えたことがありますか、永続的に続く感情などどこにもないと気づいた瞬間の絶望を、きみは考えたことがありますか、終わりのこないような夜寝息を立てているきみの隣で毛布にくるまっているぼくのこと、ぼくたちは同じ夢を見ることができない、ぼくたちはうつくしいものを見た時にまるきり同じようにうつくしいと感じることができない、どれだけ肌を重ねたとしてもぼくたちはきっと分かり合うことができない

 

「脳内ポイズンネガティブちゃん」

きみってセンスいいよね感覚だけが全てなんて言い訳誰にも通用はしないくせにねポーズにしがみついているようなきみは被害者ぶってるだけでしょう特別になんてしてもらえるはずないのに私の痛みは私だけのものなんです誰にも癒せないなら触らせないみたいな傲慢フィクションを現実に持ち込むなんてばかだねさっさと呼吸するの諦めればいいじゃん伝えるものがないのなら言葉なんてもうきみには必要ないんだからさきみはきみのことがきらいだからあのねわたしもきみのことがきらいなんだよ

 

「こいびと」

あなたの欲しいものはこの銀色の斧ですかそれともこの金色の斧ですか、いいえどちらでもありませんわたしが欲しかったものはこの池に取り残されているあなた自身なのですから、おとぎ話を作り変えるのは習慣や文化に左右されないひとりがひとりに向けるつよい感情、問題だらけなわたしとあなたはふたりでいれば最強のバディだから、ひとりで無欠みたいな人間同士で火花を散らす生き方のうつくしさ

 

「きみの小説は退屈で平凡」

きみの文章がつまらないのは自傷するふりをしているから、輪廻の輪から抜け出すのが怖くて停滞しているだけだから、不健康だからこそ甘い感傷捨てるなんてまっぴらだなんて格好をつけているから、死ぬ迄できないことなんて全部嘘だから、本物になりたい特別になりたい神様になりたい、あなたにはじめて発見される夜空にかがやく星になりたい

 

「停滞と破壊」

何をしていても何処にいても被害者意識が消えなくてそれは消えないんじゃなくて消してないだけでしょう、ねえ知ってる感情のマグマを直接ぶつけるみたいなのはコミュニケーションじゃなくてただの破壊衝動だからね、地団太踏んで喚き散らすみたいなことばかりして自分にとって一番重要なカードから先に捨てているみたいな生き方、不幸に酔ってるなんてわかってるよ、変わることも変わらないこともきみの選んだ結果なんだから、どんな風になりたいかなるべきかなんて答えひとつだけなのにね、きみの手足を縛る鎖をようやく結局破壊して喚きながら走り出しなよ、何かを捨てなければ手に入らないものがどうしても欲しいのなら

 

 

喫茶らんぶるで待ち合わせ

 

奇跡みたいな言葉が、いきなり私めがけて落ちてきた。人間は偶然の集合体で、私ときみとが出会って言葉を交わすのはじゃあ一体何パーセントの確率なのって感じで、しかもこんな風に、心の一番深いところを掴まれるみたいな出会いなんて生まれてはじめてで、私はそれだけで文章を書いてきて良かったとうっかりしっかり思ってしまった。

 

時折、生きていることに絶望する。電車のホームに身を投げ出したくなったり、他人を無差別に傷つけたくなったり、息苦しくて何処にもいけないような気持ちにころされそうになったりする。物語は人間の救いになると信じているけれど限界もまたあって、程度や緊急度によっては不可能だったりもするけれど、私にとっての切実なテーマとしてずっと持ち続けているのは、私たち人間は一人ぼっちでは生きていけないということ。そしてその孤独を埋めることができるのもやはり人間しかいないということなんだと思う。

 

ずっと、私の考えていることを本当にわかってくれる人を探していて、人生はその人を見つける為にあるのだと思っていた。きみの感じ方は正しいよ、私もそうだったから。そんな風に頭を撫でられるように言われてみたかったし、そんな風に寄り添って溶け合ってふたりでひとつみたいに生きて行くことが至上の幸福なのだと信じていた。でも、そうじゃなかったのかもしれない。私はあなたの考えていることが分からなくて、あなたには私の考えていることが分からないけれど、私たちはまるで違う個体で、喜びも寂しさも共有不可能なことがあるけれど、それでもつながることはできるし、同じ方向を見て歩いていくことができるのかもしれないみたいな希望をくれたきみのこと。

 

ゼロかヒャクか的な思考を止められない私の視界はニワトリ並に狭くって頭の中はいつもぐちゃぐちゃだ。幸せになったら良いものが書けなくなるとか、物語で承認されないなら私には価値がないとか、なりたいものになれないなら死んだほうがマシとか、自分を極限まで追い詰めてぼろぼろに崩壊させるのが趣味なのだ。でも、私にかけてくれたきみの言葉は他の誰のものとも違っていた。誰かが欲しがっている言葉は簡単で、私はそういう薄っぺらい優しさを振りまいて自分を好きになってくれるように仕向ける邪悪さを持っていて、上手に振る舞うそういう行為はちっとも優しくなんてない。だけどきみの決して器用じゃない言葉はそうじゃなくて、だから私はあんなに激しく胸を突き動かされたのだと思う。私はすごい。私は頑張ってる。私は小説家になれるよ。本当に、本当の本当に、その言葉がどれだけ私の救いになるのかきみは知っていますか?

 

人を好きになってしまうのは怖い。男の人は女の子を傷つける生き物。どうにもできない気持ちにコントロールされてしまう。社会的な普通に合わせなければ幸せになれない。飽きられてお母さんになっちゃうから手料理をつくるのは危険。かわいく笑って男の話に合わせられる女の子が最高。おもしろみのない無味乾燥な日々がつづいていくのかな。お父さんの言うことは全部正しい。そういう簡単には答えの出ないどろどろを膨らませていくのではなく、どうにかしてやっつけてみたいと思った。どんなに時間がかかったとしても。

 

きみは私とは全然違う。考え方も、好きなものも、嫌いなものも多分きっと。でも全然違うそんなきみのことを私は好きになってしまった。私のセリウくんになってほしいとか、甘えたり寄りかかったりするのが恋愛とか、本当はそんなこと言いたくない。分かってる、違うんだよ、私はきみとそんな風に破滅したいんじゃない。私はきみの隣に立って歩いていけるような人間になりたい。まっすぐに背を伸ばして、救ったり、救われたりしながら、分かったり、分かられたりしながら、そんな風なこと一つ一つに感動しながら、ずっと一緒にいられたらいいのに。今日起こった奇跡のこと、大体のこと全部すぐに忘れちゃうけど、覚えていたい。男も女も、そうじゃない人間も、みんな奇跡で、みんなうつくしいってこと。柄にもない人間賛歌を口ずさみたくなるような日曜日深夜1時。

 

 

 

 

新宿は今日も雨

 

始発を待って外に出てみたら、曇り空から滴る涙のような雨が降っていました、酔っ払いが所かしらに寝転んでいる新宿歌舞伎町の風景が普段と少し違って見えました

 

今日のわたしは完全に気が狂っています

 

道端の嘔吐物にすら愛しさを覚えたり、きみがカラオケで歌っていた曲を聴いてみたり、それをうっかり良い曲だなんて思ってしまったり、永遠につづくようなひみつの夜の中で、わたしを見るきみの目を思い浮かべては、電信柱をあらん限りの力を込めて蹴り飛ばしたくなっています

 

たぶんこの気持ちは絶対に長く続かないからこそ、きっと今この瞬間にしか感じることのできないからこそ、誰にもきっと正確には伝えることのできないからこそ、ゴールデン街の浮かれた外国人の騒音を、新宿三丁目のネオンきらめく夜を、ネットカフェの密やかな囁き声を、わたしだけがずっと覚えていられたらいいのに

 

高揚し、浮遊し、闇の中に発光するような恋を、やはり恋をしているのかもしれません

 

わたしは物語がはじまる前からおわりのことを考えてしまう人間で、それでもがまんできずに物語を紡いでしまう人間だから、きっとどんなに傷つけても傷つけられても懲りずにきみに手を伸ばしてしまうでしょう、ばかで、ぐずで、学習能力のないわたしだから

 

人を好きになるのはこわいし、人をかわいいと思うことは苦しいし、人をほしいと感じるのは危ないし、でもそんなわたしが、こんなわたしが、きみのことを幸せにしたいと願うのはやっぱりいけないことでしょうか

 

新宿は今日も雨

 

 

 

 

起きてから歯を磨くまでの5分間

 

何度目かのスヌーズを止めて、布団の中で10秒数える。まだ薄暗く夜の気配がする部屋の中で、ああ、今日もまたぬるい地獄のような1日が始まってしまったと絶望する。

 

温室から出るとたちまち気持ちが落ち着かなくなり指の先がつめたくなる。つよい風に煽られてアイロンで流した前髪が浮き上がる。パスモのチャージが切れそうだと思い、財布にお金がないことに気づく。走れば間に合った電車を一本逃して、爆音の音楽を聞く。会社に行きたくないんだって叫ぶ代わりに、ラブアンドピースを叫ぶミュージシャンの声に心を傾ける。目を閉じなければつくりあげることのできない闇の中で。

 

駅も電車も好きじゃない。品川駅のホームで、サラリーマンに舌打ちをされる。何処を目指せばいいのか分からなくて、わたしは人ごみの中をまともに歩くことができない。生きるスピードが早すぎて、見ているだけで眩暈がする。チューナーは決して合わない、何故なら最初から全部狂ってるから。どうして平気なふりをしていられるのかが分からない。

 

どうして東京にはこんなに沢山の人がいるのだろう。それなのにどうして私はこんなにもひとりぼっちなのだろう。大切にしたい家族が居ても、大好きだと思える友達が居ても、どうしてこんなにもひとりぼっちで寂しくて何処にも居場所がないような気持ちになるのだろう。

 

生まれたときから、今日までずっとそうだったし、これからもきっと、死ぬまでたまらなく孤独なままなのだろう。いっそ本当に、自分の身を投げ出せたならいいのにという夜が、波のような夜を超えて、再びわたしの元へ押し寄せてくるのだろう。

 

生きるための酸素が足りなくて苦しい。全身に力を込めて嘘をつきつづけているような日々は、いつか本当に終わりを迎えるのだろうか?本当は、やりたいことも、ほしいものも、何にも諦めたくないよ。ハッピーエンドなんて何処にもないと分かっていても。

 

たったひとつのわたしの人生。身体が言うことを聞く間に、きみは何かをつかみとることができるか。救世主がフィクションの中だけの存在なのであればわたしは、ノンフィクションの中のヒーローになりたい。泥のような怠惰の中で、きみは愛することを諦めずにいられるか。世界なんてわたしときみとで革命すればいい。光の早さで駆けていくから色鮮やかな未来で待っていてね。約束だよ信じてるから、愛してるよ。