あいしてるのブログ

この物語はフィクションです

友だちについて

 

友だちについて。

 

中学生のとき、お父さんから手渡されたのは「きみの友だち」という本だった。朝日新聞の書評で取り上げられていたらしい。のめり込むようにその本を読んで、そして憧れた。同時に私は、主人公ふたりの女の子の関係性に、間違いなく嫉妬していた。

 

その頃の私は、いわゆる多感な時期というやつで、親も同級生も先生も家庭教師もみんなみんな死んでしまえばいい、明日なんて永遠に来なければいいと思っていた。彫刻刀を握りしめて机に消えない傷を掘っているような反抗期テンプレ中学生だった私は、恋人よりかわいい顔より頭の良さよりとにかく何より、私の話をうんうんと聞いてくれて、本当はね、私もずっとそんなことを考えていたんだよねと手を握ってくれる女友だちが欲しかった。

 

ドラマや映画で語られるような友情は真冬に飲むホットココアみたいにあったかく私の心を溶かしてくれたから、孤独の中でぐんぐん育っていく親友のことを喉から手が出るほど欲していた。でも、これは本当に悲しいことなのだけれど、高校生大学生社会人になっても、私には本当の意味、つまり私の感覚を自分のもののように感じてくれるという意味で、精神世界を繋げることのできる友だちとの関係はあまり長続きしなかった。私たちは永遠なはずだと信じていた友だちとの間にもやがて距離ができてしまったり、ふたりなら何処にでもいけると信じていた関係が卒業と共にゆるやかに終わっていくありきたりな一過性の友情だったりした。

 

それでも、心が浮き立つような蜜月がとう終わった今でも、その内の何人かは、わがままで甘ったれで連絡不精な私と、未だに連絡を取ることを試みてくれていたりする。そして驚くことに、不安になりながら会ってみればあの頃と変わらず、もちろん種類は違えど、その女の子のことを大切に思えたりする。そういうことがある度に、私は、友情って一体、何なんだろうなと思う。恋愛と似ているけれど、やっぱり何処か違う。その子のことを考えると、胸の中にぽっと灯りが燈るような、棘やささくれのない、手放しにやさしい感情。

 

お父さんからもらったあの本に「友だちってなんなのか?」という命題を突きつけられた中学生の頃から、私はそのことについて、ぐるぐると考え続けているような気がする。人生が旅であるなら、私は今でも、心の一番深いところまで分かり合うことのできる友だちを探しているのかもしれない。互いだけの世界でべたべたし続けるなんて不健康だよ、友情なんてそういうものだよと誰かに諭される度、分かり合うなんてこと、手をつなぎ続けることなんて、本当はできないのだとしても。それでも私は、この世の不条理に争いたくて、魂の片割れを探さずにはいられないのだ。出会った途端、パズルのピースが噛み合うみたいに、私たちならぜったい分かる。運命的な恋よりも、生涯につづく友情の方が尊いもののように感じる気持ちを、この世界の何処かにいるあなたなら、きっと分かってくれますか。