あいしてるのブログ

この物語はフィクションです

帰省

 

東京から新幹線で5時間、在来線に乗って1時間かけて、田舎に帰る。田舎という場所は合わない人間にとってはとことん息苦しい。少女だった私はいつでも不機嫌そうな顔をして、毎日のようにあの小さな町に対する憎悪を垂れ流していた。自分という生き物の持っている能力すらまともに直視できない私は、卒業をしたらこの町を捨てて、まっさらな状態で知らない土地に種を根付かせ、一人でのびのび自由に生きていくんだと、子供っぽく意気込んでいたような気がする。高校の修学旅行用にと買ってもらった赤いトランクケースをごろごろ引いて、駅の改札口から一歩出ると、傘を片手に持ったお母さんが私を待っている。幼い頃と全く同じように、変わらず私だけを待っているところを見たら、猛烈に悲しくなってしまった。これだから駅は苦手。

 

帰省の数日だけ、私はあの家の子どもに戻る。お母さんとお父さんの仲を取り持つために、わがままを言ってまるごと許される、傲慢な娘に戻る。あのふたりの間にどのような感情の高ぶりがあるのか、私はよく知らない。以前は干渉することが自分の使命のように受け止めて、やるべきことやるべきじゃないことを分別せずに見境なく首を突っ込んでいた。でもある日、親のことを考えている時間が自分のことを考えているよりも多いことに気づいて、もうそういうのやめようと思った。どうせ引き受けられないのだから、最初から甘えさせないほうが良い。そんな言い訳を考えながら、お母さんをあの人の元に取り残して、私だけがのうのうと息をしている。所詮私のあいしてるなんてその程度の偽物の愛情なのかもしれない。

 

2日目はいつも祖父の家に行く。いつ訪れても変な場所だと思う。祖父からも祖母からも生活の匂いがあまりしない。するのは暴力の匂いだけだ。あのふたりにみつめられると体中に力が入るから、別に強制されたわけではないけれど、私も弟も、いつしかふたりと敬語で話すようになった。世間一般で言うおじいちゃんの家は、もっと優しくて甘ったるい空気が流れている筈なのに、あの場所にはそんなのなかった。談笑がどんなに盛り上がっても、ぴりりとした雰囲気が決して消えなかった。

 

女であることを強制されるいちばんの場所も彼処だった。結婚はしないのかお見合い相手を紹介しようか仕事もいいが子育てこそが女の幸せ結局やってる仕事は腰掛けなんだろうそろそろ戻って介護資格でもとったらどうか今のままでは世間体が悪いだろう等々、粘りのある毒をはらんだ言葉の槍が体中を蝕んでゆく。長時間の移動後にどうしてわざわざ嫌な思いをしなければならないのかとひそやかに怒りながら、それでも私は年輪の増えた大木に意見する面倒を嫌って、おせっかいだと胸中で吐き捨てることしかできない。酒飲みの戯言だと流すこともできず傷ついたまま帰路につく、こんなことで尚も心揺らされる私はへなちょこによわいのだということを知る。

 

帰省をする度、発見させられることがある。子供の頃に戻ったり親との立場が逆転していて嬉しくなったりする。幼い頃は大きく見えたお父さんの背中が異常に小さく見えて不安になったりする。帰省する度、この場所を離れたくなくなり、帰省する度、東京の空気が恋しいと思う。田舎は鬱陶しくて、邪魔臭くて、それでも無下にできない魅力を放つ。心の片隅にはあの場所があって、いつか戦いに敗れるときの私に両手を広げて待っている。だけどまだ、あの場所へ帰るわけにはいかないのだ。何もできない空っぽな私のままで終わるなんてどうして許せるだろう。心から田舎を好きになるために、心から田舎を許すことができるように、夢や欲望を飲み込んだブラックホールみたいなこの東京という土地に精一杯私だけの根を張って、か細い子葉を育てていきたい。実が成るかわからなくても、意味なんてなくても、そんな風に光を見つめることしか、今はたぶんできないから。