あいしてるのブログ

この物語はフィクションです

「リバース・エッジ」平坦な戦場できみは生きのびることができるか?

 

岡崎京子原作「リバース・エッジ」。二度と同じ季節を過ごしたくないあの頃のその瞬間にしか手にすることのできない感覚。自分の身体から少しずつ抜け出てしまった真っ黒な毒のこと。鋭利な刃のような攻撃性、何処にも行けない不安と何処かに行きたい焦燥。住み慣れている振り子のような感受性を私はこれからも失わずにいられるのだろうか。

 

これは閉塞という言葉の似合う平坦な戦場で生きていたあの頃の私たちの話だ。煙を空に吐き出しつづける夜の工場地帯、新しいゴミが浮かんでは淀んでいく川。意味のないセックスや惰性のような煙草の煙、一瞬だけ光る希望のようなライターの火。絶望のはけ口を探して彷徨うわたしたち、本当のことは何も言えない世界なんて全部嘘だけどそれがなければやりすごせない、一体何処からがフィクションなのかが分からない。リアルなのは目の前にある死体だけ、信じられるのはたったそれだけ。

 

女の子の話。便器横で過食する女の子。ヒニンしてもらえない女の子。彼氏の心に触れない女の子。他人の暗闇を受け入れるゴミ箱みたいな女の子。生きている、岡崎京子の女の子は生きている、体温のある存在をスクリーンの中に感じることのできる幸福。きみたちが狂っているんじゃない、世界の側が狂っているだけなんだよ。遠くを見つめる女の子、泣き叫ぶ女の子、自分の体を燃やす女の子。きみを思い通りにしようとする人間に唾を吐いて、生身の心と本当の言葉をわたしだけに見せてほしい。

 

誰かとつながりたくても誰ともつながることができないわたしたちのdisコミュニケーション。衝動的な暴力や吐き出す為のセックスやあなたに見せたいミートボールや相手を傷物にする言葉たち。ぼくのきたない生を肯定してよ、好きって言われたいから愛らしき言葉を伝えただけだよ、自分の気持ちなんて何処にもないんだ。一番欲しいものには手が届かなくて近しい人の心には触れることができない。誰ともたぶん本当にはつながることができないという虚無に胸がひびわれる。

 

踏み外したかもしれない吊り橋、超えてはならなかった境界線のこと。出口のない戦場で、わたしたちは生きるか死ぬか。同級生の死体の上に立って余生を生きてゆくということ。熱いものを熱いと感じ、冷たいものを冷たいと感じたいということ。リアルな喪失を忘れながら、呼吸をして、武器を持ち、立ち上がる。わたしたちを殺そうとするすべての抑圧と戦いつづけよう。鬱々とした季節はまだ終わらない、振り返ればいつもあの頃の死んだ目をした私がこっちを見つめているのだから。