あいしてるのブログ

この物語はフィクションです

喫茶らんぶるで待ち合わせ

 

奇跡みたいな言葉が、いきなり私めがけて落ちてきた。人間は偶然の集合体で、私ときみとが出会って言葉を交わすのはじゃあ一体何パーセントの確率なのって感じで、しかもこんな風に、心の一番深いところを掴まれるみたいな出会いなんて生まれてはじめてで、私はそれだけで文章を書いてきて良かったとうっかりしっかり思ってしまった。

 

時折、生きていることに絶望する。電車のホームに身を投げ出したくなったり、他人を無差別に傷つけたくなったり、息苦しくて何処にもいけないような気持ちにころされそうになったりする。物語は人間の救いになると信じているけれど限界もまたあって、程度や緊急度によっては不可能だったりもするけれど、私にとっての切実なテーマとしてずっと持ち続けているのは、私たち人間は一人ぼっちでは生きていけないということ。そしてその孤独を埋めることができるのもやはり人間しかいないということなんだと思う。

 

ずっと、私の考えていることを本当にわかってくれる人を探していて、人生はその人を見つける為にあるのだと思っていた。きみの感じ方は正しいよ、私もそうだったから。そんな風に頭を撫でられるように言われてみたかったし、そんな風に寄り添って溶け合ってふたりでひとつみたいに生きて行くことが至上の幸福なのだと信じていた。でも、そうじゃなかったのかもしれない。私はあなたの考えていることが分からなくて、あなたには私の考えていることが分からないけれど、私たちはまるで違う個体で、喜びも寂しさも共有不可能なことがあるけれど、それでもつながることはできるし、同じ方向を見て歩いていくことができるのかもしれないみたいな希望をくれたきみのこと。

 

ゼロかヒャクか的な思考を止められない私の視界はニワトリ並に狭くって頭の中はいつもぐちゃぐちゃだ。幸せになったら良いものが書けなくなるとか、物語で承認されないなら私には価値がないとか、なりたいものになれないなら死んだほうがマシとか、自分を極限まで追い詰めてぼろぼろに崩壊させるのが趣味なのだ。でも、私にかけてくれたきみの言葉は他の誰のものとも違っていた。誰かが欲しがっている言葉は簡単で、私はそういう薄っぺらい優しさを振りまいて自分を好きになってくれるように仕向ける邪悪さを持っていて、上手に振る舞うそういう行為はちっとも優しくなんてない。だけどきみの決して器用じゃない言葉はそうじゃなくて、だから私はあんなに激しく胸を突き動かされたのだと思う。私はすごい。私は頑張ってる。私は小説家になれるよ。本当に、本当の本当に、その言葉がどれだけ私の救いになるのかきみは知っていますか?

 

人を好きになってしまうのは怖い。男の人は女の子を傷つける生き物。どうにもできない気持ちにコントロールされてしまう。社会的な普通に合わせなければ幸せになれない。飽きられてお母さんになっちゃうから手料理をつくるのは危険。かわいく笑って男の話に合わせられる女の子が最高。おもしろみのない無味乾燥な日々がつづいていくのかな。お父さんの言うことは全部正しい。そういう簡単には答えの出ないどろどろを膨らませていくのではなく、どうにかしてやっつけてみたいと思った。どんなに時間がかかったとしても。

 

きみは私とは全然違う。考え方も、好きなものも、嫌いなものも多分きっと。でも全然違うそんなきみのことを私は好きになってしまった。私のセリウくんになってほしいとか、甘えたり寄りかかったりするのが恋愛とか、本当はそんなこと言いたくない。分かってる、違うんだよ、私はきみとそんな風に破滅したいんじゃない。私はきみの隣に立って歩いていけるような人間になりたい。まっすぐに背を伸ばして、救ったり、救われたりしながら、分かったり、分かられたりしながら、そんな風なこと一つ一つに感動しながら、ずっと一緒にいられたらいいのに。今日起こった奇跡のこと、大体のこと全部すぐに忘れちゃうけど、覚えていたい。男も女も、そうじゃない人間も、みんな奇跡で、みんなうつくしいってこと。柄にもない人間賛歌を口ずさみたくなるような日曜日深夜1時。