あいしてるのブログ

この物語はフィクションです

男の人は未知の生命体、女の子になるということ

 

私たちは女の身体を持って生まれてくるけれども成長過程の中で経験を積みながら少しずつ女になってゆく。私のからだとこころの認識は幼いころから女だったけれど、そういう風に周囲に扱われることにはずっと違和感があった。父親はあまりきちんとした大人ではなかったし、母親はあまり自立している大人ではなかったので、大人未満のふたりの化学反応によって男の人に対する私の認識は日々ゆがんでいくことになる。男の人は女の子を傷つける生き物で、男の人は私を抑圧する生き物で、だからつまり、私が私らしく呼吸するためには女の子の存在が必要だった。女の子だけが、私をどこか遠い世界へ連れて行ってくれたから。私にはシスターフッドがすべてだった、私の手を取ってくれていちばん近くに寄り添ってくれて互いにしか理解できない言葉を交わし合ってくれる女の子が私の光だった。

 

それが現実逃避か生存戦略か自然現象かはよくわからないし定義する必要もあまりないと思うけれど、私は女の子と恋愛するのが好きだった。決して叶わないものだと思い込む片思いも、何処までも一緒に行こうねと誓い合う精神の触れ合いも、女の子との恋愛にまつわるすべての感情感覚がいとおしかった。切ないとか悲しいとか苦しいとか辛いとかうまくいかないとかどうにもならない痛みすら、涙に濡れたまつ毛がきらきらと星を浴びて光るように胸の中で瞬いていた。女の子は(お父さん=男の人)とは違う。私の言動を逐一審査してコメントをつけたり、思い通りにならないことがあっても癇癪を起こして皿を投げたりしない。女の子たちは皆、家政婦やアクセサリーとしてではなく、私を意思のある人間として扱ってくれたし、私の話にきちんと耳を傾けてくれた。女の子のそういう、嘘みたいなやわらかさが好きだった。

 

だけど、私は女の子と一緒にいるとき、少しだけ後ろめたかった。私が恋愛してきたのは男の人のことが好きな女の子が多かったから、私は好きな女の子の前で、女の子ではなく男の人として振舞うことを意識することがあった。私は雄鳥のふりをした雌鳥で、いつもちょっとだけ無理をしていて、自分らしさよりもさびしさを優先するようなあまり褒められたものではない生き方をしていた。本当の男の子なら良かったのにと言われるのが怖かったし、いつか終わりを切り出されるのに怯えるような日々に少しずつ消耗した。女の子と女の子が手をつないで世界の中心を歩いていくこと。その光景に憧れてきみと私とで明るい未来を実践できたらいいのにと思う一方、私はひどく臆病で、自分が傷つくくらいなら早めにきみを傷つけたかった。思いを寄せている女の子と別れたり、くっついたり、離れたりしながら、日々は過ぎていった。恋も愛も永遠なんかじゃないし、未熟で退屈なままでは自分以外の人間ひとりすらを大切にはできないという無力感に振り回されたりもした。

 

そうしているうちに大人になって、自分でお金を稼ぐようになって、(男の人=お父さん)の公式が崩れた。世界と視界が狭かった私が、男の人ときちんと向き合うことになったりした。二週間とか一ヶ月とか心の触れ合いをともなわない交際経験は何度かあるけれど、こんな風に男の人に恋をしてみようと思ったことが私にはほぼなく、毎日戸惑ってばかりいる。これまでの私は女の子にばかり恋をして、女の子にばかり憧れて、女の子のことばかり考えていたので、男の人との恋にうつつを抜かしてまともに文章を書けなくなったり物語に耽溺できなくなったりする今が不思議だし落ち着かないし自分が自分じゃなくなったみたいで、どうしたらいいかわからない。女の子として男の人に優しくされることに慣れていなくて、らしくなく思えて、上手に女の子になることができない。

 

相変わらず男の人はこわいし、何を考えているのかわからないし、わからないからすぐに決めつけたくなってしまうし、不安なことばかり次々胸に湧いてばかりいる。裏切られるとか嫌われるとか見下されるとか飽きられるとか疲れさせるとか、そんなの自分に自信がなさすぎるしネガティブの連鎖すぎるし何が本当で嘘なのかが判別できないみたいな暗闇の中でやっぱり飽きもせずぐるぐるときみのことを考えている。きみのことが好きなのは嬉しいことに残念ながら(?)たぶん本当、恋愛って苦しくてせつなくてじっとしていられないから走り出したくなるんだみたいな純情センチメンタルの回想を私にくれたきみを私よりもうれしくさせたいよ。寄り添ったり慰めあったり突き放しあったりして一緒にいることが自然になっていけばいいなとか思うし、手をつないで一緒に生きてゆくみたいになれたらと思うし、そのために私を精一杯がんばらせてほしいと思うよ。男の人はみんなきらいでした、きみ以外はみんなきらい。だからきみは私の特別な男の人、いちばん大切な記憶は私だけのひみつだよなんて言ってかわいいって思われたい、照れると文章がまどろっこしくなる私の癖。

 

恋は刹那と感傷でつくられている。水の流れにたゆたうように生きてゆきたい、一過性とか一時期の迷いじゃなくて私は男の人も女の子もたぶん好きなのかもしれない。できることならそのときの心の向きに従って人を愛したい。私、きっとうまくできるかはわからなくても、きみに手を伸ばしてみてもいいですか。男の人は未知の生命体、宇宙人に恋をするみたいな季節は変化の春。あのね、好きです。私、きみの女の子になりたいのかもしれません。