あいしてるのブログ

この物語はフィクションです

光のアイドル

 

これまで私がアイドルに傾倒した経験は二度ある。一度目は「彼女」。薄氷の上に立っても尚舞台の上で舞い続けるぎりぎりの笑顔に狂わされた。二度目は「彼」。無理が垣間見えるほどの底無しの明るさに暗い幻想を見た。「彼女」も「彼」も、現実と妄想の間に存在する宙ぶらりんな私たちの気持ちを吸収して、身体を包む闇を打ち消して一層つよく光るアイドルだと思う。本当のことなんて決して分かる筈ないけど、本当のことなんて決して分かる筈ないから魅力的なのだ、たぶん。

 

アイドルって、一体何なんだろう。この問いに対して一体何人もの人間が仮説を立ててきたのだろう。アイドルはそれだけ私たちの知りたい欲求を掻き立てる存在であることは間違いない。先週末に観たとあるアイドルのライブが個人的に非常に衝撃的だったので、ここに書き記してみることにする。

 

ライブが始まって数秒立たない内に、「私は一体何を見せられているのだろう」という違和感が身体を貫いた。まず、歌詞の空虚がおそろしかった。表面的にそれっぽい言葉をつなぎ合わせただけの歌詞で、そこには意味もメッセージ性も現れない。心に引っかかる棘がない代わりに永遠に平坦に楽しんでいられる、砂糖菓子のようにさっと胸の中で溶ける音楽。歌うことに何のためらいもないのだろうかなんて邪推してしまうほどに、それは空虚な音色がした。

 

パフォーマンスがどうだったかというと、こちらもやはりふんわりと楽しいだけで、一秒空かず照らされるパチンコのような照明が浮ついた空気を守っていた。表情や言葉や立ち居振る舞いその全てが表層的でしかなく、平熱のままビジネス的に行進する舞台を見つめながら、多数派が手を挙げるメジャーの世界の中でトップアイドルとして生きることのおそろしさにめまいがした。内面を一切見せず、瞬きの一瞬の隙間にさえ仮面を脱ぐことなく、うつくしくきれいなまま枠の中を決してはみ出さない。自分たちのイメージを保ち続けて生きるアイドルたちは、私たちの欲望を飲み込んで光の中に立っている老成した化け物のように見えた。

 

舞台照明が落ちたあとも、私はあのアイドルのファンがあのアイドルのどこに心惹かれるのかがよくわからないままだった。自分たちが見たいものではなく、ふつうに生きている人たちが見たいものを見せるアイドル。平均で標準な欲望の覗き鏡は、それゆえに無個性にさえ見えた。彼らは闇を夢見る隙を観客に与えない代わりに、永遠に完璧な偶像として誰の手も届かない場所に光臨する。享楽的に軽すぎる存在を通して、私たちは何かを考えることができない。現実の人生の重さをひとかけらもまとわない代わりに、感傷を掻き立てられる部分が少なくて、だからきっと私はあのアイドルに傾倒することができないのだと思う。

 

こういったアイドルの消費のされ方は徹底的に美意識とは反するけれど、あのアイドルを包み込む不可思議な退屈さをこれだけ多くの人間が支持するのであれば、少しも勝ち目なんてないのではないだろうか。鋳型に詰め込まれて作られた人造アイドルは、日常系アニメを見ているときのような居心地の悪い不気味さを感じさせた。トップランナーとして走り続ける重圧が彼らをこんな風に生かしたのかは知らない。闇の見えない光だけの真っ白な世界の中で、あのアイドルたちは一体何を考えているのだろう。